最も著名な幽霊坂のひとつが、東京都港区三田にある坂道だ。この地をはじめとする江戸の町々で「幽霊坂」が急増した背景には、17世紀前半に江戸幕府が実施した大規模な都市計画がある。幕府は防衛上の理由や火災対策のため、江戸城の周辺に散在していた寺院を一カ所に集約する「寺町」を構築した。
例えば東京都港区三田の幽霊坂周辺には、幾重にも寺院が配置された。当時の人々にとって、日没後に寺院の境内や墓地に挟まれた薄暗い傾斜地を通り抜けるのは、相応の胆力を要する体験だった。「幽霊が出そうだ」という人々の口伝は、やがて坂の固有名称へと変化した。文豪・小泉八雲が日本の怪談や民話に関心を寄せる以前から、こうした坂道は江戸市民の生活に根ざした身近なリアリティとして存在していたのである。なお、「幽霊」という言葉自体が直接的な怪異を指すだけでなく、「幽かで静かな場所(幽静)」が転じて「幽霊」の文字が当てられたという言語学的・歴史的説も根強く支持されている。