Q1:仁科盛信と武田勝頼の兄弟仲はどうだったのですか?
A1:二人は異母兄弟(勝頼は諏訪御料人の子、盛信は油川夫人の子)でしたが、盛信は信濃の重要拠点である高遠城を任されるなど、勝頼から極めて厚い信頼を寄せられていました。親族の裏切りが相次ぐなか、最後まで勝頼を支えようとした姿勢からも、強固な信頼関係があったと考えられています。
Q2:仁科盛信の首塚と胴塚はどこにありますか?
A2:胴塚(墓所)は長野県伊那市高遠町の「五郎山」にあり、城主としての功績を偲ぶことができます。首級は織田軍によって甲府へと運ばれたため、山梨県甲府市の一条宿付近(現在の甲府市天神町周辺など)に首塚や供養塔が点在しています。
Q3:高遠城の戦いにおける盛信の妻や子どもはどうなりましたか?
A3:盛信の妻子や遺児の一部は、城の陥落前に八王子へ逃れ、信玄の娘である松姫の庇護を受けました。これにより子の武田信道らが生き延び、後に江戸幕府の高家武田家として家系を後世に残すことができました。