インターネット上の掲示板や都市伝説で長年語り継がれているのが、「電車に飛び込んで自殺すると、鉄道会社から遺族へ数千万円から数億円の損害賠償請求が届き、一族が破産する」という噂です。この言説は、法的根拠と業界の実態から照らし合わせると、明らかな誇張と事実誤認が含まれています。
確かに、鉄道会社には故意または重大な過失によって運行を著しく妨害され損害を被った場合、民法第709条(不法行為による損害賠償)に基づき、当事者またはその相続人に対して賠償を請求する法的な権利が存在します。請求の内訳として想定されるのは以下の項目です。
- 電車の遅延に伴い、他社線へ乗客を迂回させるために発生した「振替輸送費用」
- 破損した車両の修繕費用、折損したパンタグラフや軌道の補修費用
- 現場対応や振替案内、安全点検のために動員された特別要員の時間外人件費
しかし、利用者の特急料金の払い戻しや、将来的な逸失利益までを個人に全額請求することは法的に因果関係の立証が難しく、裁判でも認められません。実際の請求実務において、振替輸送の規模が大きい首都圏の過密路線であっても、請求額は「200万円〜600万円程度」に設定されるのが通例です。地方ローカル線であれば数十万円程度にとどまる例も少なくありません。
さらに、加害者が死亡している場合、その賠償責任は法定相続人(配偶者や子供、親)へ相続されます。しかし、日本の民法には「相続放棄」という制度が存在します。遺族が相続の開始を知った時から3ヶ月以内に家庭裁判所で相続放棄の手続きを完了すれば、プラスの遺産とともに賠償債務も法的に一切引き継ぐ必要はありません。結果として、鉄道会社側も回収不能を見越して過酷な取り立てを行わないケースが実態として多く、ネット上の「億単位の請求で家系が崩壊する」という言説は、抑止力としての都市伝説が独り歩きしたものと言えます。