公式観光情報によると、日牟禮八幡宮の創建は第13代成務天皇の即位の折にさかのぼると伝えられる。さらに正暦2年(991年)、九州の宇佐八幡宮から神霊を勧請したという。この二つの伝承が併存している点が重要だ。創建が史実として確認できるわけではなく、信仰の古層が複数重なっていることを示す。
一方、Wikipediaに記された別系統の説では、社名「日牟禮」は和珥氏の人物・日觸使主(ひふれのおみ)の「日觸」が転じたものとされる。その場合、和珥氏が祖神を祀った斎場に、縁の深い八幡大神を合祀したという考え方も成り立つ。つまり、この地には「八幡信仰」が入る以前から、在地豪族による祭祀の場があった可能性がある。
「八幡」という地名について、公式発表や市の説明では、当地に八幡さまが祀られていたことが由来とされる。昭和29年の市制移行後、「近江八幡」という市名になった。日牟禮八幡宮の存在が、単なる一神社を超えて地域のアイデンティティそのものを規定したのである。