禅語としての「日日是好日」を、生きた身体感覚として世に広く知らしめたのが、作家・森下典子氏によるエッセイ『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』であり、2018年に公開された同名映画(大森立嗣監督)でした。主人公・典子を演じた黒木華氏とともに、茶道教室の武田先生役として圧倒的な佇まいを見せた故・樹木希林氏の演技は、今なお多くの人々の記憶に刻まれています。
映画の中で武田先生は、茶室の掛け軸「日日是好日」の前に座り、静かにこう語りかけます。
「世の中にはね、『すぐわかるもの』と『すぐにはわからないもの』の二種類があるのよ。すぐわかるものは、一度通過すればそれでいい。けれど、すぐにはわからないものは、長い時間をかけて、少しずつわかってくる」
茶道の稽古は、合理的・効率的な現代社会の論理とは真逆に位置します。意味もわからぬまま袱紗(ふくさ)をさばき、お湯と水の注ぎ分けに全身の神経を集中させ、歩幅や指先の角度まで厳密な型を何年も繰り返す。就職活動の挫折、失恋、大切な肉親の突然の死――人生の荒波に揉まれる中で、典子はある雨の日、茶室に響く雨垂れの音にふと耳を澄ませます。「雨の日は、雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には夏の暑さを、冬には身を切る寒さを。どんな日も、その日を思う存分味わう」。その瞬間、長年見つめ続けてきた掛け軸の文字が、理屈ではなく身体の底へと染み渡っていきました。
茶道の心得において、茶室は日常の喧騒や世俗の肩書を一切脱ぎ捨てる聖域です。「一期一会」の出会いの中で出される一碗の茶は、過去の栄光とも未来の不安とも無縁な、ただ「いま」という刹那に立ち現れる奇跡に他なりません。茶道が日日是好日を重んじる理由は、型を通して五感を開き、世界のありのままの表情を受け入れるための実践哲学だからです。