太陽の党の歴史を語る上で最大のハイライトは、結党からわずか4日後の11月17日に行われた、橋下徹大阪市長(当時)率いる「日本維新の会」との合流合意です。
当時の野田佳彦首相による突然の衆議院解散宣言(いわゆる「近いうち解散」)を受け、第3極各派は小選挙区での共倒れを避けるため、急速な一本化を迫られました。石原氏と橋下氏の間では、かねてより連携が模索されていたものの、国家観や統治機構改革を巡って温度差が存在していました。
しかし、選挙戦を目前にして石原氏は大同団結を決断。「大同につくために小異を捨てた」と語り、太陽の党を解党した上で、日本維新の会へ事実上吸収合流させる道を選びました。新党「日本維新の会」において、石原慎太郎氏が代表、橋下徹氏が代表代行に就任し、太陽の党所属議員は全員が維新の公認候補として同年12月の第46回衆院選を戦うことになります。