「麺の坊 砦」を語る上で欠かせないのが、店主である中坪正勝氏の特異なキャリアです。中坪氏は、博多ラーメンを一躍全国区、ひいては世界基準のフードへと押し上げた「博多一風堂」創業者・河原成美氏の右腕として、初期の屋台骨を支え抜いた伝説の職人として知られています。1990年代、一風堂が東京初進出を果たした恵比寿店の立ち上げや、新横浜ラーメン博物館への出店という歴史的プロジェクトにおいて、厨房の最前線で陣頭指揮を執っていたのが中坪氏でした。
当時のラーメン界関係者の証言によると、中坪氏の卓越したスープ管理技術と「一杯の丼に注ぐ執念」は当時から突出しており、業界内でも一目置かれる存在でした。そんな氏が2001年に独立を果たす際、選んだ拠点が渋谷区神泉町でした。メガターミナルである渋谷駅から徒歩十数分、京王井の頭線の神泉駅からでも住宅街の入り組んだ坂道を進むこの立地は、決して飲食ビジネスにおいて「イージーな場所」ではありません。
しかし、あえてこの地を選んだ理由について、店主はかつての各種メディアインタビューで「流行り廃りの激しい繁華街のど真ん中ではなく、地元の方々や本当に旨い豚骨を求めて足を運んでくれるお客様と、じっくり向き合える砦(とりで)を作りたかった」と語っています。巨大資本のチェーン展開とは一線を画し、職人が自らの手でスープの釜を混ぜ、麺を茹で上げる「個店としての矜持」。それこそが、四半世紀近くにわたり神泉の地に灯り続ける看板の原点です。