近年のネット掲示板やSNS、歴史コミュニティでは、山本五十六に対する過度な神格化への反動として「実は愚将だったのではないか」という厳しい言説が目立つようになりました。この「愚将説」は単なる中傷なのか、それとも歴史的事実に基づいた正当な指摘なのでしょうか。
批判派が挙げる論点は主に以下の3点に集約されます。
- ミッドウェー海戦の作戦計画:目的が「ミッドウェー島占領」なのか「敵空母部隊の撃破」なのか二兎を追う形になり、兵力を分散させすぎたこと。
- 戦艦大和の温存と兵站軽視:後方の安全圏から大和で指揮を執り、現場の第一線空母部隊との意思疎通に齟齬が生じたこと。
- 暗号保全の甘さと情報戦の敗北:日本側の暗号が米軍に筒抜けであった事実を軽視し続け、ガダルカナル戦などで航空戦力をすり潰したこと。
こうした批判は、戦史史料の精査が進んだ現代においては決して根拠のない暴論ではありません。山本五十六は航空主兵論を日本でいち早く唱えた先進的指導者であった反面、作戦立案者としては複雑で緻密すぎる計画を好む悪癖がありました。現場の状況変化に応じた臨機応変なフォローが欠けていた点は、多くの戦史研究家からも客観的に指摘されています。
しかし、防衛研究所の史料等を分析すると、これらすべての責任を山本一人の資質に帰するのは早計であることが分かります。根本的な問題は、早期講和という国家レベルの戦争指導計画が存在しないまま、「作戦の成功によって政治の出口を作ろうとした」統帥部の構造欠陥にありました。山本五十六の軍略は、破綻することが決定づけられていた国家戦略の矛盾を、戦術レベルの奇策で挽回しようとした悲劇的な試行錯誤だったというのが、現代学界における極めて客観的な見取り図です。