海原万里は、実父による厳格な指導のもと、幼少期から歌謡漫才の稽古を重ねた。妹の恵美子とコンビを結成すると、老舗芸能事務所のケーエープロダクションからデビュー。当時としては珍しい10代の女性コンビとして、登場するやいなや脚光を浴びることになる。
テンポの速い「しゃべくり漫才」と、卓越した歌唱力を武器にした芸風は、瞬く間に上方漫才の最高峰へと駆け上がった。読売テレビをはじめとする各局の看板演芸番組を席巻し、レコード化された「大阪ラプソディー」は大ヒットを記録。昭和の芸能界において、アイドル的な人気と実力を兼ね備えた稀有な存在として君臨した。