靖国通りから一本入った神田小川町3丁目の路地に鎮座するこの神社は、江戸時代中期の徳川家宣の治世(1709〜1712年頃)に創建されたと伝わっています。もともとは大名・戸田家の屋敷神として祀られたのが始まりとされ、のちに町の人々へと信仰が開かれました。
「五十稲荷神社 歴史 由緒」を紐解く上で欠かせないのが、その独特な呼び名の成り立ちです。神社本庁への登録名である栄寿稲荷神社という格式高い名称がありながら、毎月「五」と「十」の付く五十日(ごとおび)に縁日や市が立ち、大いに賑わったことから「五十(ごとう)稲荷」の通称が定着したと記録されています。
主祭神には、食物や農業、産業全般を司る倉稲魂命(うかのみたまのみこと)をお祀りしています。神田周辺の職人や商人、町火消たちから寄せられた篤い崇敬は、時代を経た現在も「五十稲荷神社 ご利益」として脈々と息づいています。
特筆すべきは、大正12年(1923年)の関東大震災や昭和20年(1945年)の東京大空襲において、周囲一帯が猛火に包まれる中で奇跡的に社殿周辺が類焼を免れたという事実です。この伝承から、「火防(ひぶせ)・防災」「商売繁盛」「家内安全」「芸能上達」、さらには困難を跳ね返す「強運・厄除け」のご利益を求めて、ビジネス街で働く会社員からクリエイターまで幅広い層が参拝に訪れています。