日本の法制史において不滅の光彩を放つ十七条憲法。その第一条に掲げられた言葉のバックボーンには、当時の複雑な政治的緊張関係があった。推古天皇のもとで摂政を務めた聖徳太子(厩戸皇子)は、豪族間の激しい対立を収め、中央集権国家としての基礎を固めるためにこの憲法を起草したとされる。
近年、宮内庁書陵部が所蔵する古史料の解析技術が劇的に向上したことで、当時の文章に込められた意図の再検証が進んでいる。実在性をめぐる議論も含め、厩戸皇子という稀代の政治家が目指した国家像は、力による服従ではなく、「論理と対話による統合」であったことが裏付けられつつある。