近代日本文学の文脈を遡ると、「似非」という表現が文化人たちの鋭い観察眼を反映するキーワードとして機能してきたことが分かる。明治から大正にかけての文豪・夏目漱石の散文や対話の端々にも、社会の虚飾やインテリ気取りの態度を冷ややかに揶揄する「似非」の感覚が色濃く漂っていた。
当時の文芸誌や大衆小説においては、風刺的な文脈で『似非紳士』といったキャラクター造型が好んで描かれた。見かけだけは西洋風の身なりを整え、気取った言葉遣いをするものの、内面や行動が伴わない人物像に対する強烈な皮肉である。こうした文学的リテラシーの蓄積が、日本人のアイロニー表現の土台を築き上げた。
時代を超えて受け継がれたこの言葉は、単なる口語表現にとどまらず、社会風刺の道具として機能してきた。人間が他者を観察し、その「本物度」を測る際にとる批判的な視線が、歴史的に「似非」という二文字に集約されてきたのだ。