永田町において「石破茂の最側近」という代名詞がこれほど定着した議員は他にいません。二人の関係性は、単なる派閥の領袖と所属議員という表面的な結びつきを遥かに超えた、政治的運命共同体とも言える濃密な歴史に基づいています。
決定的な契機となったのは、選挙区の構図です。鳥取県は小選挙区制の導入以降、県東部の「鳥取1区(石破茂氏)」と県西部の「鳥取2区(赤沢亮正氏)」に分かれており、県連の二大巨頭として常に二人三脚で地域政治を牽引してきました。2005年の衆院選(いわゆる郵政選挙)で赤沢氏が政界入りを果たして以来、石破氏は郷土の後輩代議士として赤沢氏の選挙支援に奔走し、赤沢氏もまた、孤高を恐れない石破氏の政治理念に強く共鳴していきました。
その関係が不動のものとなったのが、2015年の石破派(水月会)旗揚げです。永田町で冷遇され「非主流派」の憂き目を見た時期にも、赤沢氏は一貫して石破氏の傍らを離れませんでした。派閥事務局長代理などの要職を務め、政策綱領の策定から他派閥との水面下の折衝に至るまで、実務のすべてを一人で背負い続けたのです。公の記者会見で石破氏が見せる独特の政策論理を、具体的な法案や制度設計のレベルに落とし込んできた参謀こそが赤沢氏でした。こうした長年の献身と確固たる政策実務能力が、「石破内閣の経済再生担当大臣」という最重要ポストへの抜擢に直結した背景です。