長年にわたり紅白の顔として君臨していた水前寺清子ですが、1987年(昭和62年・第38回)、突如としてその名前が出場歌手名簿から消えることとなりました。22年連続という大記録の途絶は、当時のお茶の間に大きな衝撃を与えました。
なぜ突然の落選となったのか——。当時の音楽業界の動向とNHKの編成方針を振り返ると、いくつかの明確な背景が浮かび上がります。
最大の要因は、1980年代後半にNHKが断行した紅白歌合戦の大規模な路線転換と番組改革です。当時、視聴率の低下傾向に危機感を強めていた制作サイドは、旧来の演歌・歌謡曲主体の構成から、ニューミュージック、ロック、若手ポップス系アーティストを大幅に増やす方針へと舵を切りました。
その結果、演歌・歌謡曲枠の激減という大ナタが振るわれ、水前寺清子のみならず多くの大物ベテラン歌手が選考から外れる「世代交代の嵐」が吹き荒れました。また、ヒットチャートのシングル売り上げや若年層の世論調査を厳格に反映する新基準が導入されたことも重なり、長年番組を支えてきた功労者であっても聖域なき選考が行われた結果の降板劇でした。