スカルノ大統領とデヴィ夫人(旧名:根本七保子)の劇的な出会いは、1959年6月の東京にさかのぼります。当時国賓として来日していた大統領が、赤坂の老舗高級クラブ「コパカバーナ」を訪れた際、当時19歳だった七保子さんの類まれな美しさと知性に一目惚れしたことがすべての始まりでした。
同年秋、大統領の熱烈な招きを受けて単身ジャカルタへ渡った七保子さんは、大統領宮殿近くに建設された私邸「ヤソ宮殿(現・国軍歴史博物館)」で暮らし始めます。1962年には正式にイスラム教へ改宗し、「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(宝石の聖なる女神)」という高貴な名を授かり、正式な大統領夫人となりました。
一方で、スカルノ大統領の「日本人妻」を巡っては悲劇的な歴史も残されています。デヴィ夫人が渡航する直前の1959年秋、大統領の愛人・事実上の妻として先行してジャカルタに滞在していた日本人女性・金瀬咲子(サキコ)さんが、現地で自ら命を絶つという痛ましい事件が発生しました。日本の大手商社や政財界が戦後賠償ビジネスを巡って暗躍していた時代背景もあり、大統領宮殿を取り巻く人間関係は常に国家間の思惑と緊張感に満ちていたのです。