池田勇人は1899年(明治32年)、広島県豊田郡吉名村(現在の竹原市)の酒造家に生まれました。京都帝国大学法学部を卒業後、1925年に当時のエリートコースである大蔵省(現・財務省)へ入省します。しかし、そのキャリアは順風満帆とは程遠いものでした。
入省からわずか数年後、難病である「落葉状天疱瘡(てんぽうそう)」を発症。皮膚が剥がれ落ちる激痛と闘いながら、約5年間におよぶ休職と療養生活を余儀なくされます。一時は復職を絶望視され退官の危機に瀕しましたが、母や妻の献身的な看護によって奇跡的に回復を果たしました。
復帰後は税務の専門家として頭角を現し、戦中から戦後にかけて大蔵省主税局長や大蔵次官を歴任します。複雑を極めた戦後の混乱期に税制改革を強力に推し進め、数字を徹底して詰め切る実務能力の高さが後の政界進出の大きな原動力となりました。