九龍城がやばいと言われた真相|東洋の魔窟の解体理由と現在の姿

九龍城がやばいと言われた真相|東洋の魔窟の解体理由と現在の姿

九龍城がやばいと言われた真相|東洋の魔窟の解体理由と現在の姿に関する注目トピックを速報でお届けします。最新情報を求める方は必見です。

センセーショナルな報道やフィクション作品では「一歩足を踏み入れれば身ぐるみ剥がされる死の街」として描かれがちだった九龍城ですが、実際に内部で暮らしていた元住民の手記や、現地に潜入した写真家たちの記録からは、全く異なる「下町の生活共同体」としてのリアルが浮かび上がってきます。

カナダ人写真家グレッグ・ジラード氏やイアン・ランボット氏が数年にわたり内部を撮り続けた著名な写真集『City of Darkness』、あるいは日本人滞在者の証言によると、1970年代中盤以降の九龍城砦は、外部が想像するような無法の修羅場ではありませんでした。1973年から1974年にかけて香港警察が3,000人規模の特別部隊を投入して大規模な一斉摘発を実施し、三合会の公開勢力を壊滅させて以降、砦内部の治安は劇的に改善していたのです。

実際に城内を支えていたのは、中国本土から身一つで密入国してきた貧しい労働者や家族連れでした。家賃が香港市街地の数分の一と極端に安く、身分証を持たない難民でも職を得られたため、彼らはここで肩を寄せ合って暮らしていました。住民たちは自発的に「九龍城寨街坊福利事業促進会」と呼ばれる自治会を組織。郵便配達員が迷宮のような路地を歩き回れるよう独自の番地プレートを整備し、火災を防ぐための自主夜警を行い、路地のゴミ清掃や配水パイプの共同補修などを自腹で賄っていました。

特に城内で盛んだったのが、安価な労働力を活かした「家内制手工業」です。香港中のレストランで消費されるフィッシュボール(魚肉団子)やローストダック、プラスチック玩具、金型加工などの無認可町工場が数百軒も稼働していました。衛生基準はお世辞にも高いとは言えませんでしたが、朝から夕方まで機械の音が響き、汗を流して働く職人たちの活気で満ちていたのです。

また、有名なのが「無資格歯科医・医師街」の存在です。中国本土で高度な医学教育を受けながらも、イギリス式の医師免許を持たないため香港市街では開業できなかった優秀な中国人医師たちが、砦の入り口付近に密集して開業していました。法外に高額な香港の正規医療を受けられない一般市民が、安価で腕の良い治療を求めて砦の外から列をなして訪れていたという事実は、この街が持つ皮肉な機能美を象徴しています。

迷宮の上部に位置する「屋上」は、日の当たらない地上部とは対照的に、子どもたちの遊び場であり、住人たちの憩いの広場でした。近隣の啓徳空港に着陸する巨大なジャンボジェット機が、手を伸ばせば届きそうな轟音とともに頭上数十メートルを通過する下で、子どもたちは宿題をし、洗濯物を干し、お年寄りが将棋を指す日常が存在していました。元住民たちの多くが後に「貧しかったが、隣人同士の助け合いと絆は外の冷たい香港市街地よりもはるかに温かかった」と回想しているのは、単なるノスタルジー以上の事実を含んでいます。

林 結菜
著者

林 結菜

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。