特攻の父・大西瀧治郎の自決理由と遺書全文|介錯を拒んだ壮絶な最期

特攻の父・大西瀧治郎の自決理由と遺書全文|介錯を拒んだ壮絶な最期

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1945年8月15日、終戦の詔勅が下った深夜、大西瀧治郎は渋谷南平台の官邸で死の準備を進めていました。翌8月16日午前2時過ぎ、大西は自らの軍刀で腹を深く真一文字に切り裂き、さらに頸動脈を切り込みました。

異変に気づいた副官の矢野英雄中尉や、大西を兄事していた児玉誉士夫、軍医の多田恵美子らが駆けつけたとき、部屋は血の海と化していましたが、大西の意識はなお明晰でした。児玉らが介錯を申し出、軍医が応急手当を施そうとすると、大西はそれを一喝して制止したと記録されています。

「これには手をつけるな。介錯も無用だ。できるだけ長く苦しんで死ぬ」

当時の証言録によると、大西は「特攻隊員はみな、一瞬ではなく激しい恐怖や苦痛の中で死んでいった。首を落として楽に死ぬわけにはいかない」という趣旨の言葉を遺しています。自らの命令によって命を散らした4,000人を超える若者たちに対し、司令官として最大限の苦痛を共有し、自らを処刑することこそが唯一の責任の取り方であると確信していたのです。

大西は8月16日の午後6時前、失血と苦痛の極限の中で静かに絶命しました。発見から約15時間、鎮痛剤の投与すら拒否し続けたその壮絶な姿は、現場に居合わせた者たちの記憶に深く刻み込まれました。

死の直前に詠まれた辞世の句には、激動の現世を去り、部下たちの待つ冥府へと向かう研ぎ澄まされた心境が表れています。

「すがすがし 暴風のあとに 月清し」

小林 直樹
著者

小林 直樹

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。