天然痘(Variola virus)が人類に残した傷跡は、他のいかなる感染症と比較しても桁違いに深いものでした。世界保健機関(WHO)の記録や歴史統計によると、20世紀の100年間だけでも世界中で約3億人から5億人が天然痘によって命を落としたと推計されています。これは同世紀に起きたすべての戦争による直接の戦死者数をはるかに上回る規模です。
天然痘の致死率と歴史的被害を振り返ると、最も一般的な重症型(大痘瘡)における致死率は20〜40%(平均約30%)に達し、乳幼児や免疫不全者では50%を超えました。日本でも奈良時代の天平9年(737年)に大流行が発生し、当時の朝廷首脳陣であった藤原四兄弟が相次いで病死、当時の総人口の25〜35%が失われたと記録されています。聖武天皇が東大寺の大仏建立を命じた背景にも、この凄まじい疫病の猛威に対する国家的な祈祷の意味合いがあったことは歴史学上の定説です。また、16世紀のスペイン軍によるアメリカ大陸侵略期には、持ち込まれた天然痘ウイルスによって先住民人口の最大9割が壊滅し、アステカやインカ帝国の崩壊を決定づけました。
この惨禍をもたらした根源には、ウイルスの極めて残酷な発症プロセスがあります。天然痘の感染経路と潜伏期間は、主に感染者の咳やくしゃみによる飛沫感染、あるいは水疱の浸出液や寝具を介した接触感染です。平均10日〜14日(範囲として7〜17日)の潜伏期間を経て、突如として激しい悪寒とともに40度前後の高熱、激しい頭痛や腰背部痛が襲います。
続いて現れるのが、天然痘の初期症状とあばたです。解熱の兆しとともに口内や顔面、四肢の先端部から赤い斑点が広がり、これが丘疹、水疱、そして膿がたまった「膿疱」へと変化します。皮膚だけでなく内臓粘膜の隅々まで病変が広がり、激痛を伴いながら皮膚が破壊されていきます。運良く一命を取り留めたとしても、膿疱がかさぶたとなって剥がれ落ちた後には、真皮の深部に達する破壊痕が白く凹んだ瘢痕(あばた/痘痕)として生涯残り、角膜に病変が及んだ場合は失明に至るケースも頻発しました。当時の手記や病床日誌には、「顔面が崩れ落ちるような激痛と恐怖」「我が子の変わり果てた姿を直視できない絶望」が生々しく書き残されています。