この表現を語る上で欠かせないのが、文豪・夏目漱石にまつわる有名なエピソードです。英語教師を務めていた漱石が、生徒が「I love you」を「我君を愛す」と直訳したのを聞き、「日本人はそんな露骨な表現は使わない。『月が綺麗ですね』とでも訳しておけば、気持ちは十分に伝わるものだ」と指導したという逸話です。
しかし、近年の文献調査や国立国会図書館のデータベース検証によって、「月が綺麗ですね」の元ネタの真相には大きな疑義が呈されています。実際、夏目漱石全集や日記、同時代の書簡、教え子たちの回顧録を徹底的に調査しても、漱石自身がこの発言を行ったという直接的な一次資料は一切発見されていません。
文学研究者や編集者の証言を総合すると、昭和後期から平成初期にかけてのエッセイや国文学者の解説、あるいは演劇の台詞などが口伝やインターネットを通じて変容し、「漱石の逸話」として定着した可能性が極めて高いとされています。歴史的事実としての確証はないものの、「夏目漱石のI love you訳」という物語そのものが、日本人の美意識に合致して愛され続けているというのが実態です。