Q1:絵島と生島新五郎の「密会や肉体関係」は本当にあったのですか?
A1:後世の芝居や小説では情熱的な密通劇として描かれますが、近年の歴史研究では肉体関係の証拠はなく、単なる酒宴と歓談の域を出ていなかった可能性が極めて高いとされています。厳しい尋問を経ても密通を裏付ける客観的証拠は出ず、門限遅延と無許可の遊興を重罪に仕立て上げられたのが実態とみられています。
Q2:幽閉先となった高遠での絵島はどのような暮らしを送ったのですか?
A2:絵島は高遠城下の一角に建てられた周囲を板塀で囲まれた狭い屋敷で、厳しい監視のもと生活しました。酒や肉、贅沢品は一切断たれ、朝夕に読経を重ねる日々を送りましたが、取り乱すことなく極めて礼儀正しく謹厳に過ごしたため、監視役の高遠藩士たちからも深く敬愛されたと伝えられています。61歳でその波乱の生涯を閉じました。
Q3:事件の後に生島新五郎はどうなったのですか?
A3:生島新五郎は三宅島で約27年間に及ぶ過酷な流人生活を送りました。徳川吉宗の時代になって恩赦が出され、江戸へ戻ることが許されましたが、すでに高齢となっており、歌舞伎の舞台に復帰することなく小網町で静かに没しました。