杉並区荻窪の善福寺川を望む高台に位置する「荻外荘」は、もともと大正期に東京帝国大学教授などを歴任した建築家・伊東忠太の設計により、辻道太郎の別邸として建築された近代和風住宅です。その後、1937年(昭和12年)に第一次近衛内閣を組織した近衛文麿がこれを買い取り、西園寺公望によって「荻外荘」と命名されました。ここを拠点として、戦前・戦中の政治を揺るがす数々の密議が繰り広げられたことは歴史の教科書でも知られています。
杉並区が推進した近衛文麿 旧邸 復元事業では、散逸していた歴史資料の精緻な検証や、かつて別の場所へ移築されていた客間棟の再移築など、徹底的な調査と職人技に基づいた復元工事が実施されました。解体調査と復元作業の過程で、伊東忠太ならではの独創的な意匠構造や、近衛がプライベートな思索に耽った書斎の細密な間取りが当時の姿のまま鮮明に浮かび上がったのです。
特に注目すべきは、歴史の教科書に必ず登場する荻外荘会談 歴史の舞台となった「客間」と、1945年(昭和20年)12月16日未明に近衛がGHQへの出頭前夜に自決を遂げた「書斎」の空間性です。1940年(昭和15年)7月の第二次近衛内閣発足直前、近衛文麿、東条英機、松岡洋右、吉田善吾らが一堂に会し、日独伊三国同盟の締結や新体制運動の基本方針を定めた緊迫の会談が行われた現場が、当時の空気感をそのままに再現されています。
近衛は自著『平和への努力』の中で、当時の政治的混迷と決断の重圧について苦悶の手記を残していますが、復元された部屋に立つと、当時の指導者たちが密閉された空間でいかなる葛藤と権力闘争に直面していたのかが、肌に伝わるようなリアルさで迫ってきます。近衛文麿 昭和史 舞台としての荻外荘は、単なる建築遺産を超えて、激動期の国家意思決定の深層を可視化する決定的な一次史料といえます。