江戸城無血開城の真相|勝海舟と西郷隆盛の決断と裏側の全貌

江戸城無血開城の真相|勝海舟と西郷隆盛の決断と裏側の全貌

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江戸城無血開城のプロセスを正確に理解するには、緊迫を極めた日時の推移を追う必要があります。1868年(慶応4年)1月の鳥羽・伏見の戦いに敗れた徳川慶喜は、大坂城を脱出して江戸へ帰還。徹底抗戦を叫ぶ幕臣たちを制し、自らは上野寛永寺にて謹慎に入り、新政府に対して徹底恭順の姿勢を示しました。

しかし、新政府軍(東征軍)は徳川討伐の手を緩めず、東海道・東山道・北陸道の3方から江戸へ進軍。有栖川宮熾仁親王を大総督とし、参謀の西郷隆盛が実質的な指揮を執る軍勢は、1868年3月15日(旧暦3月23日)を江戸城総攻撃の期日と定めました。この破滅的な衝突を回避すべく、旧幕府の陸軍総裁(後に陸軍総裁・軍事取扱)に任じられた勝海舟が、命を賭した和平交渉に乗り出します。

交渉は、まず山岡鉄舟が西郷の滞在する駿府(静岡)へ単身乗り込んで道筋をつけ、総攻撃前々日となる3月13日(旧暦3月21日)と前日14日(旧暦3月22日)の2日間にわたり、高輪の薩摩藩下屋敷および田町の薩摩藩邸で勝と西郷の歴史的会談が行われました。結果として総攻撃は電撃的に中止され、同年4月11日(旧暦4月11日、新暦5月3日)に江戸城は平和裏に新政府軍へ明け渡されました。

吉田 誠
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吉田 誠

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