ローランドの出身地と生い立ち|八王子のサッカー少年から帝王への軌跡

ローランドの出身地と生い立ち|八王子のサッカー少年から帝王への軌跡

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ローランドを語る上で欠かせないのが、10年以上に及んだ本格的なサッカーキャリアです。幼少期からボールを蹴り始めた彼は、中学時代にはJリーグ・柏レイソルの下部組織である柏レイソル青梅(現・柏レイソルA.A.青梅)にセレクションで合格し、ジュニアユースとしてプレーしていました。当時から足元の技術に長け、類まれなサッカーセンスを発揮していたことが記録に残されています。

高校進学に際しては、全国優勝を何度も経験している全国屈指の名門校・帝京高等学校(東京都板橋区)へ進学。伝統の「カナリア軍団」のユニフォームを身にまとい、プロサッカー選手になるという夢一本で過酷な練習に身を投じました。当時の帝京高校サッカー部は、全国から選りすぐりのエリート選手が集まる超実力主義の世界。朝練から夜遅くまでの猛練習、厳しい上下関係の中で、ローランドはFWやMF(トップ下)として技術を磨き続けました。

ネット上や週刊誌で話題となる「学生時代の写真」を見ると、現在の陶器のような白い肌や華やかな金髪とは180度異なり、真っ黒に日焼けした精悍な坊主頭に近い短髪姿の少年が写っています。目元には現在の面影を残しつつも、鋭い眼光でボールを追う姿は正真正銘のアスリートそのものです。

しかし、高校3年時の東京都大会予選決勝で敗退し、全国大会(冬の選手権)への出場を逃した際、彼は人生最大の挫折を味わいます。自著やロングインタビューにおいて、本人は当時の心境をこう述懐しています。

「上には上がいる。自分にはプロとして頂点に立てるほどの才能はないのだと、残酷な現実を突きつけられた瞬間だった」

人生のすべてを捧げてきたサッカーというアイデンティティを失った喪失感。この巨大な挫折こそが、後に「他の誰にも真似できない分野で世界の頂点を目指す」という特異な執念を生み出す原動力となったのです。

中島 亮太
著者

中島 亮太

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。