しかし、絵に描いたような幸福な生活はやがて静かに軋み始めます。婚姻から十数年が経過した1991年、夫妻は正式に離婚届を提出することになりました。長年にわたりファンの間で疑問視されてきた尾崎紀世彦の離婚理由について、当時の芸能関係者や取材記者は「生活拠点の決定的な乖離と文化的ジレンマ」を挙げています。
当時、日本国内でのディナーショーやミュージカル出演、テレビ出演など精力的な音楽活動を継続するためには、日本に長期滞在せざるを得ませんでした。一方、ベティさんと子どもたちの生活基盤はあくまでハワイにあり、年の大半を別々に暮らす別居状態が常態化。物理的な距離はやがて夫婦間のコミュニケーションを奪い、精神的なすれ違いへと発展していきました。さらに、豪快で自由奔放なスターの気質と、異国の地で孤軍奮闘しながら子育てを担うベティさんとの間で、家庭に対する優先順位のズレが修復不可能なレベルに達していたと伝えられています。
離婚にあたって浮上したのが子供の親権問題でした。尾崎さんは子どもたちを深く愛していましたが、日本で多忙を極める単身の身で育てることは現実的に困難でした。最終的に長男と長女の親権は母であるベティさんが持ち、ハワイで教育を受けさせることが合意されました。尾崎さんは養育費や生活費の支援を誠実に続けながら、家族の形を解消するという痛切な決断を下したのです。