デビュー当時から尾崎豊の才能を見出し、共に数々の名曲を創り上げてきた音楽プロデューサーの須藤晃。ソニー・ミュージックエンタテインメント(旧CBS・ソニー)のスタジオで彼が目の当たりにしていたのは、表現者としての圧倒的な輝きと、私生活で崩壊寸前にまで追い詰められていた生身の青年の危ういバランスだった。
死の直前に完成した遺作アルバム『放熱への証』には、従来の反逆のシンボルとしての姿ではなく、死の気配や救済を求める祈りのような言葉が散りばめられている。須藤晃は後に、スタジオでの尾崎が時折見せていた極度の疲労と、何かに怯えるような視線について語っている。音楽産業・J-POPがバブル景気とともに商業主義へ傾斜していく中、自らの純粋性を保つために精神を削り続けた代償はあまりにも大きかった。
『放熱への証』に収録された楽曲の数々は、彼が最期に遺した遺言状のようにも聴こえる。レコード会社やメディアが作り上げた「十代の教祖」という虚像と、一人の傷つきやすい人間としての実像の乖離。その歪みが、あの破滅的な結末へと彼を押し流していった要因の一つであることは疑いようがない。