この事件がもたらした最大の社会的影響は、戦後の日本経済を支えてきた「護送船団方式」の完全な崩壊である。政府が金融機関を過度に保護し、競争を排除するシステムは、結果として癒着と腐敗の温床となっていたことが証明された。
世論の激しい批判を浴びた政府は、金融行政の抜本的な改革を余儀なくされた。大蔵省から金融行政の権限を切り離し、現在の「金融庁」が新設されたのはこの事件が直接の契機である。また、官僚の倫理規定を厳格化する「国家公務員倫理法」が制定され、日本の官僚組織における「接待」の定義は一変することとなった。