当時、彼の所属レーベルであったRCAレコードは、洋楽の流行をいち早くJ-POPの前身である昭和歌謡のマーケットへ接続する鋭い先見性を持っていた。単に海外のヒット曲をそのまま直訳して歌わせるのではなく、日本人の琴線に触れる独自の歌謡曲へと昇華させる戦略だ。西城秀樹という稀代のボーカリストを得たことで、その試みは結実する。
洋楽カバーという手法は、ともすれば原曲のコピーという批判に晒されやすい。しかし秀樹の圧倒的な歌唱力と個性が、その懸念を完全に吹き飛ばした。洗練された西洋のポップ・プロダクションと、泥臭くもドラマティックな昭和歌謡のダイナミズムが融合。日本の音楽産業におけるクロスオーバーの金字塔として、今も語り継がれる理由がここにある。