小曽我洞窟を語る上で欠かせないのが、日本三大仇討ちの一つとして知られる「曽我兄弟の仇討ち」との歴史的関連性です。小田原から足柄平野にかけての一帯は、鎌倉初期の武士である曽我十郎祐成と五郎時致が育った地として数多くの伝承が残されています。地元に伝わる口碑によると、この洞窟は兄弟が仇討ちの密議を凝らした隠れ家、あるいは修練の場であったと語り継がれてきました。
しかし、地質学および考古学的な観点から見ると、この洞窟には別の側面も浮かび上がります。神奈川県内の丘陵部に点在する古代の「横穴墓(やぐら)」の系譜を引く構造であると同時に、近代においては太平洋戦争末期の防空壕や軍事物資の保管庫として拡張・再利用された形跡が確認されています。中世の武士伝説と近代の軍事史という、二重の歴史的レイヤーが重なり合っている点に神奈川の史跡としての特異な価値が存在します。