永田町における人間関係と選挙区での支持基盤は、政治家の行動範囲を決定づける重要な要素です。小野寺氏は長年、名門派閥である「宏池会(旧岸田派)」の事務総長として派閥実務を支え、岸田政権の誕生にも尽力しました。しかし、自民党の派閥解散が進んだ現在、派閥の論理に囚われない「政策本位のフリーハンド」を獲得し、党内各グループから等しく相談が持ちかけられる結節点となっています。
その強靭な政治力の根本にあるのが、長年選出されてきた地元・宮城県(気仙沼市・登米市・栗原市などの旧宮城6区、区割り改定後の現宮城5区)における揺るぎない評判です。
宮城の有権者にとって今なお記憶に鮮明なのは、2011年3月11日の東日本大震災時の行動です。地元が壊滅的な津波被害を受けた際、小野寺氏は即座に東京から現地へ入り、自ら泥まみれになりながら救援物資の運搬や避難所回りに奔走しました。当時の取材記録には、自らの被災も顧みず住民の要望を一心にメモする姿が残されています。
「小野寺先生は、大臣になっても地元を歩くときは昔とまったく変わらない。おごったところが一切なく、漁港でも田んぼのあぜ道でも、声をかければ立ち止まってこちらの話を最後まで聞いてくれる」(地元水産業関係者の証言)
また、過密な公務をこなす小野寺氏を支える妻(夫人)の存在も、地元での高い好感度につながっています。夫の代理として地域行事や支援者への挨拶を誠心誠意こなす夫人の控えめで温かな人柄は、後援会組織の結束に大きく寄与していると評されています。