ヒロミの事故は、視聴者や現場関係者にどれほどの衝撃を与えたのでしょうか。当時のテレビ業界の空気感と、生々しいリアクションを検証します。
1990年代初頭のバラエティ番組は、現在では考えられないほどの過剰な身体的リスクをタレントに強いることが日常化していました。「危険を顧みずに突撃してこそ一人前」「大ケガスレスレのリアクションが一番面白い」という価値観が、制作サイドと出演者の双方に共有されていた時代です。
事故当時、現場に居合わせた関係者の証言によると、花火に点火した瞬間の爆縮音は数十メートル離れたロケバスを揺らすほどだったといいます。「演出の範疇を完全に超えていた。白い煙が晴れた瞬間、ヒロミさんの着ていた銀色のスーツが焼け焦げて縮み上がっており、全員が凍りついた」と語られています。
また、テレビ放送を通じて事故の第一報を知った視聴者の間にも凄まじい衝撃が走りました。当時の芸能ニュースやワイドショーは、病院前からの生中継を連日実施。SNSが存在しなかった当時、視聴者からは「いくらバラエティでも人を殺しかけるような真似をしていいのか」「テレビ局の責任はどうなっているのか」といった数千件規模の抗議電話がテレビ局に殺到しました。
一方で、ヒロミは入院中、制作陣を公に激しく糾弾することはしませんでした。「自分が面白いと思って引き受けた仕事だから」と責任の一端を自ら背負い、スタッフとの関係修復を図った立ち振る舞いは、後に彼が芸能界で重宝され、MCやご意見番として確固たる地位を築く人間的器の大きさを示すエピソードとしても知られています。