まず押さえておきたいのが、この慣用句の基礎知識です。心頭滅却(しんとうめっきゃく)の読み方は「しんとうめっきゃくすればひもまたすずし」。語句を分解すると、「心頭」は心・雑念・精神の座を指し、「滅却」は完全に消し去る・無に帰すことを意味します。
辞書的な定義では、「無我の境地に達して雑念を捨て去れば、たとえ火の熱さや過酷な苦痛であっても気にならなくなり、涼しささえ感じるようになる」という境地を指します。単に「気合いで我慢する」「耐え忍ぶ」といった受動的な忍耐ではなく、苦楽や生死の二元論的な執着そのものを消滅させる能動的な精神変容を表している点が、ことわざの真相解説における決定的な鍵です。
さらに重要なのが、この句には対となる上の句(前句)が存在することです。完全な形は以下の漢詩対句で構成されています。
「安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火もまた涼し」
(あんぜんかならずしもさんすいをもちいず、しんとうめっきゃくすればひもまたすずし)
前句の安禅必ずしも山水を須いずとは、「静かに坐禅を組み、悟りを開くためには、必ずしも静寂な山奥や清らかな水辺といった好都合な環境を求める必要はない」という意味です。つまり、「場所や外的環境のせいにせず、自らの心を統御できる場所こそが真の修行道場である」という強烈なメッセージが込められています。