興福寺の阿修羅像はなぜ憂うのか?三面六臂の謎と光明皇后の真実

興福寺の阿修羅像はなぜ憂うのか?三面六臂の謎と光明皇后の真実

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興福寺阿修羅像が誕生したのは、奈良時代の天平6年(734年)。聖武天皇の皇后であった光明皇后が、前年に亡くなった実母・橘三千代(たちばなのさんちよ)の一周忌供養のために西金堂(さいこんどう)を建立し、そこに安置した仏像群のひとつでした。

母を失った深い悲しみに加え、幼くして命を落とした我が子・基皇子(もといおうじ)への思慕、さらには天然痘の猛威や政治的混乱に揺れる世を鎮めたいという、光明皇后の切実な祈りがこの像の造立背景にあります。血を流し合う権力闘争の時代にあって、阿修羅像が帯びる深い憂いは、母と子を想い、争いのない平穏を願った光明皇后自身の心の投影でもあったのです。

この繊細な表情と軽やかな体躯を可能にしたのが、当時最先端だった脱活乾漆造(だっかつかんしつぞう)という技法です。粘土で原型を作った上に麻布を漆で何層も貼り重ねて固め、乾燥後に背中を切り開いて内部の土をすべて掻き出し、内部に木の骨組みを入れて仕上げます。

中が空洞になるため、像高約153cmという等身大のサイズでありながら、重量はわずか約15kgしかありません。この軽さがあったからこそ、木彫では表現が難しい細い腕や流れるような布の動き、指先の微妙なニュアンスを自在に造形することが可能になりました。また、火災や戦乱が相次いだ興福寺の歴史において、僧侶たちが手で抱えて運び出せたことが、1300年もの間無傷で現存した最大の要因です。

山本 拓海
著者

山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。