この巨大な聖域の起源を辿るには、昭和30年代に端を発する教団の黎明期に目を向けねばならない。教団の創始者・初代教え主である岡田光玉(本名・良一)は、立教の契機となった神示を受けたとされ、混迷を深める戦後社会において急速に信徒を拡大していった。光玉が説いたのは、神道的な世界観をベースに独自の霊界構造を組み合わせた教理であり、既存の仏教や既成神道に飽き足らない都市中間層の心を捉えた。
しかし、1974年の岡田光玉の急逝によって、組織は激しい後継者争いの渦へと呑み込まれる。二代教え主の座を巡り、法廷闘争にまで発展したこの分裂劇は、日本の宗教法人業界でも屈指の泥沼劇として知られる。結果として、初代の側近であった関口榮が率いる「世界真光文明教団」が伊豆冷川の主座本殿を維持し、光玉の養女であった岡田恵珠が立ち上げた「崇教真光」は岐阜県高山市に新たな総本山を構えることとなった。同じ源流を持ちながら、伊豆の黄金本殿と飛騨高山の世界総本山という二つの巨大聖地へ枝分かれした歴史は、今なお両教団の教理解釈や儀礼の細部に微妙な差異として刻まれている。