市原稲荷神社が位置する刈谷の地は、戦国時代から江戸時代にかけて重要な戦略拠点として機能してきました。社伝によると、創建は平安時代の仁寿3年(853年)、弘法大師(空海)が諸国巡錫の折に三河国司とともに神託を受けて勧請したと伝えられています。主祭神には倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、大宮比売神(おおみやひめのかみ)の稲荷三神を奉斎し、古くから農耕と生活全般の守護神として尊崇されてきました。
この古社が歴史の表舞台でひときわ重きをなした契機は、戦国期における刈谷城主・水野氏の崇敬にあります。徳川家康の生母である於大の方(おだいのかた)の実家として知られる水野忠政公が刈谷城を築城した際、城の守護神・領内の総鎮守として社殿を造営し、社領を寄進しました。幼少期の竹千代(のちの徳川家康)も刈谷城に滞在した折にこの地を訪れ、武運長久を祈願したと記録されています。
江戸幕府が開かれた後も、家康公をはじめとする歴代将軍や歴代の刈谷藩主(土井氏など)による手厚い保護が続きました。単なる一地方の稲荷社にとどまらず、国家平穏と領民安寧を祈る公的な祈願所としての格を保ち続けた歴史こそが、現在に至るまで人々の心を捉えて離さない決定的な要因となっています。