学校の授業で現代語訳を初めて読んだ際、「なぜ急にファンタジーノベルのように鬼が現れるのか」と首を傾げた人は少なくないはずです。知恵袋やSNS上でも「芥川の鬼の正体は本当に怪物妖怪の類なのか」「男の狂言ではないか」といった疑問が今なお定期的に飛び交っています。
結論から申し上げれば、文学史および歴史学における定説として、この鬼の正体は「女(藤原高子)を奪還しに来た兄の藤原基経と藤原国経」です。平安時代の公認記録や歴史物語である『大鏡』にも、業平が高子を盗み出して逃げたものの、兄たちに見つかって女を取り返され、業平自身は髪を切られて出家させられそうになったという生々しい事件記録が存在します。
では、なぜ作者は単に「追っ手に連れ戻された」と書かずに、鬼の比喩を使ったのでしょうか。そこには二重の理由が存在します。
一つは「権力批判のカムフラージュ」です。当時絶頂期を迎えつつあった藤原北家に対して、名指しで批判や醜聞を記録することは許されませんでした。一族の未来の大黒柱(後の摂政・関白である基経)を、容赦なく妹を奪い去る無慈悲な存在として「鬼」に見立てたのは、没落贵族層による精一杯のレジスタンスでもありました。
もう一つは「男の主観的現実」です。戸口で必死に弓矢を構えて守っていたにもかかわらず、振り返れば跡形もなく消え去っていた。男にとっては、物理的に人が攫われたというよりも、まるで人外の鬼に丸呑みされたかのような、抗いようのない非情な断絶だったのです。