沢田研二と伊藤エミの離婚協議は、数年に及ぶ膠着状態を経て1987年1月に正式成立しました。その際、日本中を驚愕させたのが、当時の芸能界史上最高額と報じられた約18億1800万円にのぼる巨額の慰謝料および財産分与です。
この金額は、世田谷区内にあった豪邸や伊豆の別荘などの不動産物件、預貯金、有価証券など、沢田研二がそれまでに築き上げた個人資産のほぼすべてを前妻と実子に差し出す形で清算されたものでした。「身ぐるみ剥がされての一文無しからの再出発」とも形容されたこの決断は、不義理を働いた側としての社会的責任を金銭的に全うしようとする、ジュリー一流の筋の通し方でもありました。
離婚成立後も伊藤エミはメディアに対して一切の暴露を行わず、静かに息子の養育に専念しました。2012年に伊藤エミが他界した際にも、沢田研二は追悼の言葉を公に慎みつつ、長男との交流を静かに継続していたことが報道各社の取材で明かされています。