安岡正篤という人物を知らずして、戦前・戦後の日本の政治史を語ることはできません。1898年(明治31年)に大阪で生まれた安岡は、東京帝国大学法学部を卒業後、東洋思想や陽明学の研究に没頭。国家主義運動や軍部への思想的影響を与えつつ、戦後は日本の再建に向けた精神的支柱として政財界の中枢に深く関与しました。
安岡が「昭和最大のフィクサー」あるいは「昭和の黒幕」と呼ばれた最大の理由は、歴代の総理大臣たちがこぞって彼に教えを請うた点にあります。吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、中曽根康弘に至るまで、国の舵取りを担うトップが重要法案の決定や内閣改造の折に安岡のもとを訪れ、その指針を仰ぎました。また、三菱グループや住友グループなどの財界首脳も安岡を師と仰ぎ、彼の設立した「郷学研修所」(埼玉県嵐山町)には日本を動かす指導者層が集ったのです。
さらに、終戦時の「玉音放送」の草案加筆や、元号「平成」の考案者の一人としても知られるなど、安岡はまさに国家の根幹を支えた知の巨人でした。