中川一郎の死因を巡っては、公式に自殺と認定された後も、週刊誌や政界関係者の間で他殺説が根強く囁かれ続けました。これほどまでに謀略論が飛び交った理由は、主に3つの不可解な要素が存在したためです。
第一に、発見現場に残されていたメモと遺書の存在です。客室には愛用の手帳や便箋が残されており、そこには家族や関係者への断片的な感謝の言葉が記されていたものの、明確な死の動機を記した決定的な遺書は公表されませんでした。この曖昧さが「何者かに口封じされたのではないか」という疑惑を増幅させました。
第二に、国際謀略論との結びつきです。中川一郎はタカ派の領袖として知られる一方、ソ連との漁業交渉を通じて独自のパイプを築いていました。冷戦構造の真っ只中にあった当時、「ソ連の機密情報に触れすぎた」「CIAやKGBが関与している」といった真偽不明の情報が飛び交いました。
第三に、直前の精神状態と薬物の影響です。最晩年の中川一郎は、前年の総裁選の激務と敗北による極度の心労から深刻な不眠症に悩まされており、複数の睡眠薬や抗不安薬を常用していました。精神医学的な見地からも、薬物の過剰摂取や急激な減薬に伴うせん妄状態、衝動的な精神錯乱が引き金になった可能性が極めて高いと分析されています。