海援隊の知恵袋として異彩を放っていたのが、後に明治政府で外務大臣として条約改正を成し遂げる陸奥宗光だ。紀州藩出身の彼は、若くして尖鋭な知性と鋭い観察眼を持ち、龍馬からも「刀を使わせたら危ないが、知恵なら自分以上」と頼りにされていた。
陸奥は単なる理論家にとどまらなかった。長崎での外国商人とのタフな交渉や隊の規約制定、他藩との泥臭い裏取引まで、実務の最前線に立った。彼がいなければ、龍馬の描いた壮大な構想は絵に描いた餅で終わっていたに違いない。
一方、文才で組織を支えたのが長岡謙吉だ。『海援隊約規』の草案を書き上げ、広報や記録全般を担当した長岡は、隊員たちの思想的バックボーンを明確な言葉へと落とし込んだ。彼が遺した記録は、近代日本における組織運営の基礎を示す貴重な史料となっている。