兵士の身を守り、軍紀の象徴となった軍服と徽章にも陸軍独自の美意識が反映されていました。明治期の濃紺色(紺絣)から、日露戦争を経てカーキ色を基調とした国防色へと移行。1930年の「昭五式」では立ち襟と肩章が採用され、1938年の「九八式」では折り襟と胸部・襟の階級章(襟章)へと改定されました。兵科ごとに赤(歩兵)、黄(砲兵)、緑(騎兵)と分けられた兵科色(山形胸章)は、兵士の帰属意識を高める役割を果たしました。
兵器体系においては、命中精度と耐久性に優れた傑作小銃三八式歩兵銃や、後継の「九九式短小銃」が歩兵の主力火器として長年重用されました。航空戦力では、卓越した運動性能を誇る一式戦闘機「隼(キ43)」や、大戦後半に配備された四式戦闘機「疾風(キ84)」、液冷エンジンを搭載した三式戦闘機「飛燕(キ61)」などが開発され、過酷な制空権争いに投入されました。
しかし、戦車や火砲をはじめとする陸戦兵器全般において、欧米列強との工業生産力・技術格差は歴然でした。九七式中戦車「チハ」は装甲・火力ともに米軍のM4シャーマン中戦車に遠く及ばず、対戦車戦闘では肉薄攻撃に頼らざるを得ない事態に陥ります。何より致命的だったのは「兵站(ロジスティクス)」の軽視です。「輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち」と揶揄された風潮の通り、補給部隊を冷遇し続けた結果、南方戦線における戦没者の過半数が餓死と戦病死という凄惨な結末を招きました。