昭和23年の真冬、帝国銀行椎名町支店で起きた惨劇は、当時の日本社会を震撼させた。犯人は厚生省の腕章を巻き、実在する医学博士の名刺を差し出して行員たちを完全に信用させた。配られた二種類の液体を自ら手本を示して飲んでみせるという周到な手口により、誰一人として疑うことなく劇薬を飲み干した。わずか数分の間に12名が絶命し、生き残った4名も重篤な状態に陥った。
現場に残された物的証拠は極めて乏しく、犯人が持ち去った小切手の一部が換金された形跡を除けば、犯行声明も確固たる動機も見当たらない。後に逮捕されたテンペラ画家・平沢貞通は死刑判決を受けたものの、犯行に使用された毒物の特定や自白の信憑性をめぐり、当初から強い冤罪疑惑がつきまとった。極秘解除された当時の捜査資料や米公文書館の記録を照合すると、裁判で認定された「単独犯による金銭目的の犯行」という筋書きには、あまりにも多くの綻びが存在することが浮き彫りになる。