名画を巡る最大の論争であり続けるのが、「この少女は一体誰なのか」というモデル問題です。20世紀末以降、小説や映画の影響によって「フェルメール家に仕えたうら若き家政婦」というイメージが定着しましたが、美術史学における学術的見解は大きく異なります。
17世紀オランダの絵画市場において、本作は特定の人物の肖像画(ポートレート)ではなく、「トロニー(Tronie)」と呼ばれるジャンルに分類されていました。トロニーとは、実在の特定の個人を記念・記録するためではなく、誇張された表情、特徴的な民族衣装、特定の年齢層や心理状態を表現するために描かれた「顔・頭部の習作」を指します。
オランダ黄金時代において、注文主の顔を正確に再現する肖像画画料と比べ、トロニーは画家の自由な技量を示す市場向けの商品として制作されていました。したがって、少女が異国風のターバンを巻いているのも、当時のデルフトに実在した服飾ではなく、画家の演出によるオリエンタリズムの仮装です。
仮に生身のモデルが存在したとしても、それは家庭内の人物――画家の長女マリア・フェルメール(制作当時12〜13歳前後)や、妻カタリーナの面影を借りながら、画家の頭の中で理想化された架空の美少女像へと昇華されたというのが、現代の美術史における定説です。
映画と小説が定着させた「召使いグリート」のフィクション
1999年にトレイシー・シュヴァリエが発表した歴史小説『真珠の耳飾りの少女』、およびそれを原作とした2003年公開の映画(ピーター・ウェーバー監督、スカーレット・ヨハンソン主演)では、フェルメール家に下働きとして入った少女「グリート」と画家の秘められた情愛が描かれました。
映画のあらすじとして描かれた「身分違いの切ない恋情」や「画家の絵の具を調合する感受性豊かな助手」という設定は、大衆のロマンティシズムを強烈に刺激し、世界的なヒットを記録しました。しかし、マウリッツハイス美術館の主任キュレーター陣も明言している通り、これらはあくまで20世紀末に創作された卓越したフィクションであり、史実を証明する古文書は一切存在していません。