富士山は何県?山頂8合目以上は境界未定地!静岡山梨論争の真相

富士山は何県?山頂8合目以上は境界未定地!静岡山梨論争の真相

富士山は何県?山頂8合目以上は境界未定地!静岡山梨論争の真相について知っておくべき ポイントを分かりやすく解説いたします。

多くの国民が「国の象徴である富士山頂は当然、国有地だろう」と思い込んでいますが、これは完全な誤解です。山頂の8合目以上のエリア(標高約3,100m以上、東京ドーム約82個分に相当する約385万平方メートル)は、静岡県富士宮市に本社を置く「富士山本宮浅間大社」の奥宮私有地(境内地)です。なぜ日本最高峰の頂が神社仏閣の境内地となり、県境が引かれない事態に至ったのか。そこには400年以上に及ぶ壮大な歴史的経緯が存在します。

発端は江戸幕府を開いた徳川家康に遡ります。慶長9年(1604年)、家康は関ヶ原の戦いの勝利に対する神恩感謝として本殿などの社殿を造営・寄進し、続く慶長11年(1606年)には「富士山頂8合目以上を富士山本宮浅間大社の散薬(修繕等の費用)として寄進する」旨の寄進状を発給しました。これにより江戸時代の富士山頂は幕府公認のもと、同社の社領として保護されることになります。

激動が走ったのは明治維新後の1871年(明治4年)です。明治政府による「上知令(じょうちれい)」が発令され、寺社の所有地が強制的に国家へ没収されたことで、富士山頂も国有地へと組み込まれてしまいました。終戦後、1946年の宗教法人令に基づき国有地の返還措置が取られましたが、国は「山頂は公共の登山地であり信仰の対象に留まらない」として返還を拒絶。ここから国と浅間大社による前代未聞の泥沼裁判が幕を開けました。

17年にわたる法廷闘争の末、1974年(昭和49年)4月9日、最高裁判所第三小法廷は浅間大社側の訴えを全面的に認める判決を下しました。江戸幕府の寄進状の有効性と、山頂全域が古来より一体の信仰儀礼空間(神域)であることを司法が公式に認定したのです。その後、気象庁の旧気象観測所跡地などの一部公共用地(約0.1%)を除外する境界確定作業を経て、2004年(平成16年)12月にようやく国から浅間大社への所有権移転登記が完了しました。

では、なぜ所有権が確定したにもかかわらず「県境」は未定のままなのでしょうか。地方自治法上、都道府県の境界を定めるには関係する自治体の議会の議決と両県知事の合意、そして総務大臣への届出が必要です。しかし、静岡・山梨の両県とも「山頂は古くから信仰の山として一体不可分であり、人為的な線を引いて争うのは神聖な山にふさわしくない」という大義名分のもと、あえて境界画定の協議を棚上げしてきました。白黒をつけず「境界未定地」として曖昧に保ち続けることこそが、決定的な亀裂を回避するための高度な政治的知恵だったのです。

斉藤 蓮
著者

斉藤 蓮

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。