「俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」。一見するとユーモラスであり、ネットミームとしても消費されたこの言葉。だが、その本質は極めて実存的だ。
自分を奮い立たせるための「理由」は、何でもいい。炭治郎は、自分に課せられた役割やアイデンティティをあえて引き受けることで、限界を超えた痛みに耐えた。これは、自己責任論に押しつぶされそうな現代人にとって、奇妙なほどリアルな自己暗示の技術として機能する。客観的な正しさではなく、主観的な「言い訳」を作ってでも立ち上がる。その泥臭さこそが、人間味なのだ。