映画でユーモラスかつ切なく描かれた菊次郎ですが、現実の生活者としての北野武の父親菊次郎の経歴は、過酷な昭和の労働そのものでした。東京都足立区島根で漆職人(塗装業・ペンキ屋)として生計を立てていた菊次郎は、卓越した手先の技術を持ちながらも、時代の波に翻弄され貧困と隣り合わせの生活を送っていました。母・さきが教育熱心で子どもたちを大学へ進学させようと奔走したのに対し、菊次郎は読み書きも満足にできず、職人気質の頑固さを貫く人物でした。
北野武が自著の手記や当時の特番インタビューで赤裸々に告白している北野菊次郎の壮絶エピソードは、現代の基準に照らし合わせれば極めて過酷なものです。シラフのときの菊次郎は極端に内気で、近所の人に挨拶されると下を向いて逃げ出してしまうほど無口な男でした。ところが、一滴でも酒が入ると人格が完全に崩壊し、家中の物を投げ飛ばし、母・さきや子どもたちに激しい暴力を振るう手がつけられない暴君へと変貌したのです。
当時の様子について、武は次のように回想しています。 「親父が酒を飲んで帰ってくると、家の中の空気が一瞬で凍りついた。ちゃぶ台が宙を飛び、茶碗が壁に激突して砕け散る。お袋と俺たち兄弟は、親父が暴れ疲れて寝落ちするまで暗闇の中で息を潜めて震えていた」 こうした北野武菊次郎家族の知られざる経緯は、幼少期の武の心に深い恐怖と消えないトラウマを植え付けました。しかし同時に、いつ爆発するかわからない絶対的な理不尽に対抗するため、相手の顔色や空気の揺らぎを瞬時に察知する鋭利な観察眼と、緊張を笑いに変えて危機を回避するユーモアの原点を授けることになったのも皮肉な事実です。
後年、菊次郎が臨終を迎えた際、遺品として残されたのは文字の書けない菊次郎が武に宛てて書こうとした歪な線の残るメモ帳と、古びたペンキの缶だけでした。死に際に見せたあまりにも小さく無力な父親の亡骸を前にして、武は長年抱き続けてきた激しい憎悪が、奇妙な憐憫と許しへと変化していくのを実感したと公の場で語っています。