彼女が世に見出されたきっかけである「ミスiD2015」のグランプリ獲得から、10年以上の月日が流れた。新潟から現れた黒髪の少女は、瞬く間にカルチャーシーンのミューズとして崇められた。だが、そうした熱狂的な神格化は、往々にして表現者の寿命を縮める諸刃の剣でもある。カルト的な人気という名の温室に留まることを、彼女は選ばなかった。
ファッション誌の専属モデルとして同世代の憧憬を一身に集めながらも、彼女の眼線は常に別の場所を見据えていた。雑誌のページをめくる読者に媚びることのない、どこか乾いたポージング。モデルという枠組みを軽々と飛び越え、インディペンデントな映像作品や実験的なアートプロジェクトへ身を投じていった当時の選択が、現在の分厚い演技力の礎となっていることは疑いようがない。