溥儀の私生活は、常に孤独と冷徹な政治力学に晒されていました。16歳で正妻(皇后)として迎えた婉容(えんよう)との生活は、当初こそ西洋文化を共に楽しむモダンな夫婦に見えましたが、やがて満州国での幽閉状態やプレッシャーから婉容は深刻なアヘン中毒へと陥っていきます。
さらに側室であった文繍(ぶんしゅう)が歴史上初となる「皇帝への離婚調停」を起こして逃亡。この事件は溥儀のプライドを粉々に打ち砕き、婉容への冷遇を一層強める引き金となりました。精神を病んだ婉容は、満州国崩壊後の逃避行中に劣悪な環境のなか孤独死を遂げています。
一方、生涯を通じて溥儀を支え続けたのが、1歳年下の実弟である愛新覚羅溥傑(ふけつ)です。溥傑は日本の華族出身である嵯峨浩(さが ひろ)と政略結婚を結ばされましたが、二人は深い愛情で結ばれ、溥儀の猜疑心を和らげる架け橋となりました。
溥儀は弟の存在に嫉妬や警戒を抱く時期もありましたが、戦犯管理所での過酷な収容生活を共に過ごすなかで真の兄弟愛を取り戻し、晩年に至るまで互いを精神的な支えとして暮らしました。