山崎豊子文学の最大の魅力は、綿密かつ執拗なまでの現場取材によって構築された圧倒的なリアリティにあります。単なる空想の産物ではなく、昭和から平成にかけて日本社会を揺るがした実在の人物や事件が色濃く投影されています。
『白い巨塔』で描かれた浪速大学医学部第一外科の教授選や医療ミス裁判は、大阪大学医学部で実際に起きた教授選任劇と術後患者の死亡事件がモデルとされています。医学界の封建的なヒエラルキーや保身に走る医師たちの生々しい心理描写は、発表当時「医学界への冒涜だ」と猛反発を招くほどの社会的波紋を広げました。
映画化・ドラマ化でも社会現象となった『沈まぬ太陽』は、かつて半官半民のナショナルフラッグであった日本航空(JAL)と、同社の労働組合元委員長である小倉寛太郎氏をモデルにした実話ベースの大作です。不条理な海外僻地への左遷人事に耐え抜く主人公・恩地元と、1985年に発生した御巣鷹山ジャンボ機墜落事故の生々しい遺族対応、政財界の腐敗構造に切り込んだ内容は、当時の航空業界・政界に激震を走らせました。
さらに、他の代表作にも昭和史を象徴する実在のモデルが存在します。
- 『華麗なる一族』:1965年の山陽特殊製鋼倒産事件および関西金融界の名門・岡崎財閥(旧神戸銀行)が下敷き。政略結婚と親子の愛憎、金融再編の暗部を暴き出しました。
- 『不毛地帯』:大本営参謀から11年間のシベリア抑留を経て、伊藤忠商事会長へと登りつめた瀬島龍三氏が主人公・壹岐正のモデル。過酷な抑留生活と総合商社の航空機導入・石油開発ビジネスの裏側を再現しています。
- 『運命の人』:1971年の沖縄返還協定に絡む「外務省機密漏洩事件」と、毎日新聞の西山太吉記者がモデル。国家権力による情報隠蔽と、報道の自由の限界を鋭く問うた傑作です。
- 『二つの祖国』:日系アメリカ人二世の視点から第二次世界大戦と東京裁判を描き、国家と個人のアイデンティティの狭間で揺れる苦悩を抉り出しました。