現代のグローバルな人気度や「世界三大美食国ランキング」などの各種アンケート調査を見ると、イタリア料理や日本料理(和食)は常にトップ争いを繰り広げています。それにもかかわらず、なぜ歴史的な世界三大料理の枠組みには入らなかったのでしょうか。そこには時代背景と食文化の成立プロセスの違いがあります。
イタリア料理が入らなかった歴史的背景
第一の理由は、イタリアという統一国家の成立が1861年と比較的近代であった点です。イタリア料理の本質はトスカーナ、シチリア、ナポリ、ピエモンテといった「地方郷土料理(クチーナ・レジョナーレ)の集合体」であり、巨大な単一帝国のもとで一元的に体系化された宮廷料理という形態を長く持ちませんでした。
歴史的には、16世紀にフィレンツェのメディチ家からフランス王室へ嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスがフォークの使い方や洗練された調理技術をフランスへ伝えたという決定的な功績があります。しかし、その技術を受け継ぎ、18〜19世紀にかけてアントナン・カレームやオーギュスト・エスコフィエといった巨匠たちが世界標準の「コース料理体系」として理論化したのはフランス側でした。イタリア料理が世界的な大衆人気を獲得したのは主に第二次世界大戦以降の移民文化やピッツァ・パスタの普及によるものであり、三大料理の概念が形作られた時代の政治的・外交的序列とは時期が異なっていたのです。
和食(日本料理)の独自性と「三大料理」の基準
和食が除外された理由も同様に、優劣ではなく「目指した方向性の違い」に起因します。三大料理(仏・中・土)はいずれも広大な大陸の多民族を統治し、油脂や香辛料、火力を駆使して食材を再構築する「足し算の美学」を持っています。
対して和食は、四方を海に囲まれた島国の風土のなかで、新鮮な旬の食材の持ち味を極限まで引き出す「引き算の美学」を追求してきました。この孤高の価値観は後述するユネスコ無形文化遺産として最高峰の評価を受けることになりますが、19世紀的な「大陸支配と多民族融合の料理体系」という物差しとは根本的に性質が異なっていたと言えます。